サインに対しての誤解、とサインを持った時の利便性

もし私は「サインとは何か?」と聞かれれば、「サインとはその人の顔である」と答えます。

どういうこと? と感じるかもしれませんね。

ここではサインを使うシーンやサインを持つメリットをお伝えしながら、「サインとはその人の顔である」ということについてお話ししていきたいと思います。

まず「サインとは、どんな場面で使うものなのか?」ということから説明しましょう。

ひょっとすると、「芸能人や有名人でもないのに、サインを書く機会なんてないよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、そんなことはありません。私は毎日、サインを使っています。

サインの主な用途

日常―クレジットカード決済、宅配便の受け取り

まず日常的なところでは、クレジットカードの決済をするときや、宅配便を受け取る際のサインなどです。こういうものは必ずしも、学校で習うような私たちが普段見なれている漢字の書き方、つまり「楷書」でなくてもかまいません。それに楷書なら十数画ある名前の人でも、サインなら3~4筆でササッと書くことができて、とても便利です。

サインの使用シーン

旅先―チェックイン時やパスポートの署名

ホテルや旅館にチェックインするとき、あるいは渡航の際、パスポートにする署名にも使えます。旅行や出張が多い方は、サインを持っているととても重宝されると思います。

ビジネス―外国ではサインがなければお話にならない

日本は印鑑社会ですが、外国はサイン社会です。特に欧米はそうです。中国は印鑑も使いますが、ちょうど日本における印鑑とサインの立場を逆転させたような「基本はサイン、そうでなければ印鑑」という文化になっています。

ですから外国での取引があったり、海外出張が多かったりする方、海外支社を持つ日本企業や外資系の会社にお勤めの方は、サインを持つことが必須と言ってもいいでしょう。「署名ドットコム」では、「海外の企業と契約の際に、自分のサインがないと格好がつかない」といった理由で、大企業の社長さんからサインの作成の依頼をいただくことも多くあります。でも仮に「海外とは取引していない」という会社の方でも、大事な書類には印鑑を押した後、その横に自筆で名前を書きますよね?

そのときに字が汚かったら、見た人にどう思われるでしょう? そしてそこに書かれたサインが達筆だったら、どんな印象を持ってもらえるでしょうか? そう考えると、すべての社会人は自分のサインを持っておいたほうがいいと私は考えています。

ちなみに私たち「署名ドットコム」には、漢字のサインよりも英語のサインをつくってほしいという依頼が多く、全体の6~7割ほどを占めています。日本人は自分の名前を漢字で書くことには慣れていますが、英語で書くことには慣れていないからではないでしょうか。

それは引き続きサインに対しての誤解について説明します。

サインに対しての誤解

パッと見て、読めないようなサインではダメ?

荷物を受け取る際や契約書類にサインをするときに、パッと見て他の人が読めないようなものはダメだと思っている方が意外とたくさんいらっしゃいます。しかし、実はそうではありません。もちろん名前が認識しやすい、可読性が高いサインであったほうが相手に親切なケースもあります。先方から「読めるように書いてほしい」と望まれることもあるでしょう。

しかしサインで重要なのは「名前が読めるように書いてあるかどうか」ではなく、「その人が書いたという証明になっていること」です。本人が「確かに書きました」という証になっていればよいのです。以前、「アメリカの財務長官のサインが、何を書いてあるのかわからない」ということが日本のテレビ番組で取り上げられ、話題になったことがありました。つまり、このエピソードからもわかるように、欧米ではサインの可読性はほとんど重んじられていません。欧米では「サインは一字一句、名前のとおりに書かなければならない」というルールすらないのです。

日本で「読めるように書いてほしい」と依頼してくる人の大半は、実は「サインの字は、見てすぐ読めるようなものでなくてもかまわない」ということを知らないのです。

サインを読まなければならない必要はありません

サインは印鑑と比べて、偽造されやすいのでは?

印鑑に比べて、サインのセキュリティーは甘いのではないか? マネされたらおしまいなのでは? と思っている方も多いはずです。しかし、これもまったく逆です。印鑑は盗まれたり、偽造されたりすれば他人に使われてしまいますが、サインは盗まれることはありません。

マネされたところで、99.99%は安全だと断然できます。つまり筆跡鑑定で見破られてしまうからです。誰にでも、文字を書くときに固有のクセがあります。それをマネすることは非常に難しいのです。おそらく特殊な訓練を受けた諜報部員のような人でなければ、他人の筆跡をコピーすることはまったく不可能です。そしてそんな人は、数十万人に1人いるかどうかだと思いますし、そんなプロに標的にされてしまう方なんてそうそういません。

これが先ほどの「読めるかどうかは実は重要ではない」ことの理由でもあります。筆跡を調べれば、誰が書いたのかがわかるからです。

私たち「署名ドットコム」のサービスの利用をためらう方の中には、他人にサインをつくってもらうことに対してセキュリティー面での不安を持っている方もおられますが、これも同じような誤解があるからだと思います。実際には、たとえ依頼を受けてサインをつくったデザイナーでさえ、依頼者の筆跡をマネすることはできないのです。私たち「署名ドットコム」が提供しているものは「形のデザイン」であって「筆跡」ではありません。

つまり、印鑑よりも直筆サインのほうがはるかに安全なのです。

役所や銀行では、印鑑でなければ絶対にダメ?

日本では役所が「印鑑証明書」を発行していますが、実は商工会議所では印鑑登録のようにサインを登録する「サイン証明書」を発行しています。ビジネスでは「サインでOK」という場面が確実に増えてきているのです。

ただし「公的機関や銀行では印鑑が必須、サインではダメだ」と思っていらっしゃる方が多いのは事実です。もちろん基本的にはいまだにそうなのですが、近年ではそのような風潮もだいぶ緩和されており、「印鑑がなければサインでもOK」「サインだけでもかまわない」ということが増えています。

私たち「署名ドットコム」のクライアントには、多くの政治家や大企業の社長様などがいらっしゃいます。先ほどの「海外ではサインが当たり前」「サインのほうが印鑑よりも安全」ということが浸透しているのだと思います。つまり「規約を決める立場」にある政治家や経営者層の意識が変わってきているということでもあります。ですから、今後は日本もゆっくりと印鑑社会からサイン社会へ移りかわっていくのかもしれません。

最後に、サインを持つことで得られる効用をあらためて整理しておきたいと思います。

なぜ、サインを持っておいたほうがいいのでしょう?

実用性―短時間でラクに書ける

1つは実用性です。先ほどご説明したとおり、それまで十数画で書いていた署名が、わずか3~4筆で書けるようになります。サインでは文字の書き順も学校で習ったものではなく、自分で実際に書きやすいようにアレンジされていますから、はるかに書き心地がよく、書くのが楽。そして何より書いていて気持ちがいいのです。

ステイタス―見た人からの信頼が得られて、自信にもつながる

もう1つはステイタスです。かっこいいサイン、個性あふれるサインは、見た人からの信頼につながります。

現代では、文字のやりとりのほとんどはパソコンやスマートフォンで行われるようになりました。しかし自分の名前だけは、直筆で書くことが多くあります。つまり他人から見られる文字の印象、ひいてはあなた自身の印象は、ほんの4~5文字の自筆で決まってしまいます。一時期「美文字」のブームがありましたが、「せめて自分の名前はきれいに書きましょう」という意識は、近年むしろ高まってきているようにも感じます。

サインを持つことのメリット

ビジネスで取引先と契約する際、あるいは異性とデートをしていてクレジットカード決済でサインをする際、他人から文字を見られますよね。それが不格好なものだと「この人、大丈夫かな?」と思われかねません。逆に美しく決まっていれば、「きちんとしている人」に見えて、信頼を得ることができるのです。

それだけでなく、サインを持つことは自分への自信にもつながります。自分の字に対してコンプレックスを持っている方は少なくありません。特に役職のある方や、何かを成し遂げたいと思っている意欲の高い方は、それにふさわしい字を書きたいと思っているものです。他人に見せて恥ずかしくないサインを持っていれば、「ここぞ」というときによけいな心配を抱えずに、商談などの場面に臨めるようになります。

自己表現―アイデンティティーを捉え直すことで得られる達成感

そして何より、サインはとてもすぐれた自己表現ツールと言えます。これが「サインとは人の顔である」と私がお伝えする、いちばんの理由です。

私たちは人それぞれに先祖から姓を受け継ぎ、親から与えられた名を持っています。サインをつくるということは、自分の名前をあらためて自分自身で捉え直し、自分のものにする作業なのです。サインをデザインするときには、野球選手であったらボールやバットをかたどったり、アイドルならハートマークをベースにつくったりします。あるいは、やわらかな人柄を表現したければ丸みを活かしたデザインに、豪快さを表現したければ鋭角の線を大胆に使った形にします。つまりサインは、「自分はこういう人間です」「こういう人間でありたい」というイメージに合わせてつくっていくものなのです。

そしてサインの書き順は、学校で習う文字の書き順から逸脱してもよく、好きなように書いてかまいません。「人から与えられた名前」「人から教えられた書き順」から解放されて、自分で自分を見つめ直し、「自分はこういう人間だ」ということを自らつかみ、他人に対して表現するチャンス―それがサインをつくるという作業の、本当の意味なのです。

人の顔は、それぞれに違います。たとえ同姓同名の人同士でも顔がまったく同じということはなく、サインがまったく同じであるということもありません。サインをつくることは、他人から見られる「顔」を自分らしくデザインできるということでもあります。私自身、自分のサインをつくる前と後では、感覚が明らかに変わりました。サインができた瞬間には、何か殻を破ることができたような達成感があったのです。

サインには実用性以外にも、こうした「自分を清書するような感覚」があるのです。自分の名前を見つめ直し、自身のイメージに合ったサインをつくりあげる。すると、名前は「さらに自分らしいもの」「自分をもっともよく表現できるもの」へと変わります。サインができ、くりかえし書いて手になじんでくると、不思議と自信が生まれてくるのです。

林 文武
株式会社署名ドットコム 総合プロデューサー兼代表 2006年に署名ドットコムを創立し、サインデザインの分野でパイオニアとして活躍しています。著書には『サイン・署名の作り方』があります。

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